セガエンタテインメントの買収報道でいろんな人の反応が見れたわけだけど・・・やはりアーケードゲームというものが分かってない人が増えてきたなぁという印象。

いやまあ時代が変わったわけだし、昔のことなので別に知らなくてもいいとも思うのだが、ゲーム開発を目指す人ならアーケードゲームの歴史ぐらい知識として押さえておいてもいいだろう。
~ということで今回はざっくりと説明してみようと思う。
なおここで書かれていることは私の記憶の知識や印象の範囲での事柄なので、間違っている可能性があることをご了承いただきたい。昔のコインジャーナルとかの紙媒体の資料が揃ってる方に正確な解説はお願いしたいところです。そういうのがなかなかそろってないんだよね。買ってたゲーセンとか潰れちゃったりして。

まず黎明期。
元々は海外のジュークボックスやゲーム機、場合によってはピンボールを日本国内に輸入して販売し始めたのが最初。徐々に日本オリジナルのゲーム機を作り始めていた。
とはいえあんなアップライトのでかい筐体を置けるおしゃれなお店などは日本にはそうそうないし、当然のように売れる筈はない。
そこで出てきたのが”テーブル筐体”だ。

これならナウなヤングにバカウケな喫茶店などにも置ける。
そうして出てブームになったのがスペースインベーダー。ブームというからにはもうざっくざくでウハウハにお金儲けするわけだ。
だが・・・”喫茶店に置かせてもらう”という商売はなかなかに難しい。というか喫茶店としては350円とかのコーヒー売ってる間に1000円とかのコインを投入していく客とか・・・どうよって感じ?その金よこせよというか、タイトーとしてもたくさん並べて丸儲けしたい。

そこで出てきたのがインベーダーハウス。つまり今でいうゲームセンターだ。
ゲームが集まってゲームセンター。
だがこのブームはあっさり過ぎ去ってしまう。まあヤンキー(昭和の遺物)などが屯したりと社会問題化した。元々ゲームセンターが割とヤのつく自営業の方々が絡んでたり、まあ屯するヤンキーをスカウトしたりとかなんとかみたいななんかアレなことが増えてきてしまってた訳で~。

そんな感じでインベーダーハウスの需要はなくなってしまったわけだが、狙えインベーダー的な一獲千金を目指してアーケードゲーム開発自体は増えていく。
実際にゲーム基板は高く売れたわけだし、パチンコの役物などを作る金型製造することを考えたら、それほど金はかからない。店の展開も容易で、パチンコ屋併設のゲーセンも多かったよね。

つまりアーケードゲームを売りたい!

そこで出てくるのが直営店とボーリング場という概念だ。ボーリングブームというのはもう少し前だが、ブームが去った後の広いスペースにはアーケードゲームの需要があった。
この辺りは長らくクローズアップされることはなかったが、フランチャイルズビジネスが出たころに、ラウンドワンが台頭してきたことでどこのメーカーのゲームも仕入れやすいロケーションとして一部では直営店より有利な立場になるのだが、それはもう少し後の話。
ちなみにこのころのボーリング場向けのアップライトのアーケードゲームが中古で流れることでデパートの屋上などのゲームコーナーに繋がっていったりした。

そして直営店。メーカーの直営店を名乗ることで、とりあえずヤのつく自営業の皆様の直営店ではないということも言えたわけだ。まあインベーダーのぼろもうけを覚えている皆さんとしてはヒットゲームを作って儲けをできるだけ独り占めしたい!というのもあったとは思う。(´・ω・`)

つまりだ。本来アーケードゲームメーカーというのはヒットゲームを作り、それをまずは自社の直営店でリリースし、できるだけ金儲けしたいよう!~~という願望で出来たものだった。
キャッチザマネー☆た~いとぅ!

またブームが去った原因の一つとして風俗営業法の適用業種になったのだが、それにあたって警察の方にお伺いを立てる必要が出てきた。そして表向き、風俗営業法からの撤廃やら健全化を名目にAOUとJAMMAという業界団体が出てきてバチバチ争い始めた。
まあ大体タイトー、セガ、ナムコは直営店が多かったので、前述のように自社を優先するけど業界団体仲間にもゲームを売ってやらんでもないぞよ~とやり始めた。アイレムとかその他のメーカーも直営店はなくはなかったが、その辺は直営店をあまり増やさずに、どこにでも売れるメーカーの道をコナミやカプコンは選んだわけだ。
だが直営店にしかとりあえず出さないヒットゲームで丸儲け戦法が使えない分、初期ロットは筐体とかと抱き合わせでなきゃ売らんとかクソ高いけどネットワーク導入しろ!導入しなきゃ売れん!とかの商法を思いついたりするわけで・・・まったくどいつもこいつもヤクザよりアコギな商売するでぇ・・。

R-TYPEやファイナルファイトのアーケードそっくりのコンシューマー移植ゲーム時代の到来。
次にストリートファイターIIのヒットからの格闘ゲームブームということで再びアーケードゲームが注目を浴びるのだが、このころには1プレイ100円じゃあまともな商売にならなくなってきた。
つまり5分でプレイヤーを殺せ!殺せなきゃ殺し合いさせろ!という時代だ。
そして移植も技術があれば結構近いものができる。というかだんだんアーケードゲームがしょぼくなってきたというかw

そんな不景気なアーケードゲームにSNKがネオジオで”ゲーム機のリース”という形態を思いつく。
ご存じのように大きな成功には至らなかったが、”アーケードそのまま”というコンシューマーゲームの移植という点では”理論上”素晴らしかった。
まあ縦シューを横画面で作らせるのヤメレ!とは思ったけどな。

そうこうしているうちにアーケードゲームは採算が取れないゲームに徐々になっていった。
大ヒットしても売れないというか、どうせコンシューマーで移植するんだからとそもそも”コンシューマー移植前提”で作り始めたというか。システム基板というものがそういう形態になっていった。最後には筐体のなかにプレステやDOS/Vパソコンが鎮座したりしはじめた。
そりゃゲーセンで金入れんわ・・・。

最終的にシステム基板の価格や初期ロット購入のためのセット売りなどでゲーム機の価格はどんどん高騰。1台100万も珍しくなくなったときには当然のように採算は取れない。まあそれは今の派手な役物のパチンコも同じだけどさ。

そうしてゲームセンターからはゲーム機が無くなり、当たってもコインになるだけのパチンコ、中国産景品が入ったキャッチャー系の自称自販機、そして自称シール自販機のプリクラ系のゲーム機だけになっていく・・・どこがゲーム機?

あとはネタ狙いのパーティ系な感じの大型筐体ゲームやレースゲームばかりになっていくわけだが、そこでレンタルが再登場だ。

SNKがネオジオで失敗したが、今度は違うぞ。自称カード自販機のレンタルゲーム機だ。そうムシキングだ。

キッズマスビデオというジャンルが増えてくる。ゲーム筐体のレンタルといってもタダ同然だ。じゃあどこで儲けるかというとこのジャンルのキモは紙のカードやICチップ入りの何かゴミ同然のものが100円に化けるというところ。
じゃんけんするだけのカード印刷で丸儲け。100円札刷ってるようなもんだ。カードがなければだれもやらないので、売り上げののごまかしようもない。
そうしてデパートのゲームコーナーはもちろん、おもちゃ売り場にさえ、キッズマスビデオの筐体が置かれた。

黎明期の置かせてもらうビジネスをしつつゲームメーカー自身がカード等の販売で直接金儲けできるのでもう直営店を持つ必要がないのだ。
あれ?直営店いらなくね?

そのうちにネットワークの従量制で100円投入されたら50円以上絶対払え!という感じで直接徴収できるようになった。

つまりゲーム作った人間・・いや”会社が丸儲け”・・・ということをできるようになったわけだ。

ナムコボン!

タイトーボン!

セガボン!

はい、アーケードゲームは滅びました。
~というのがアーケードゲームの歴史・・・というわけだ。