ゲーム業界の思い出・・・ということで少し話題になってる昔のゲーム開発の話。

最初のゲーム開発というとダイナックス。割と短い期間しか居なかったし、なにせ30年前のことなので・・・もっと在籍期間の長い方の話を参考にした方がいいとも思いますがとりあえず思い出して書いてみます。

グラフィックチームの開発室はこんな感じでした。

手前が商品の麻雀ゲームの基板が並んでいる部屋。

奥がプログラムチームという感じ。2階に応接室や社長室とかがあったんだっけ?

長い机にモニターが置かれていてそこにずらっと並んで作業します。

上にPCおいたけどモニターの下にあったような?この辺はうろ覚え。

この後ろにも机があって、そこにライトテーブルおいて原画の作業してたような記憶があります。

スキャナーは存在するけど、まだまだ性能が低いし使うのは低解像度。

原画を1mmぐらいのサインペンでペン入れして取り込んでました。

タブンPCは98とかじゃなかったかな?200ラインのメインボード仕様の絵も描くことがあるはずなので。

記憶にないですけど、電源をオフにするときにストップキー押そうみたいなルールはあったと思うw

そういや謎の画面が暗くなるだけのディスプレイフィルターも一部についてましたね。

当時はまだマルチペイントも市販されてなかったか出始めた頃のはずなのでオリジナルのドットツール。

うろ覚えだけどビデオシステムのツールに操作性が似てたような気はします。

ポイントはいかにも自作感があるミニキーボード。

金属パネルに脱衣麻雀のコンパネのあのボタン(プラスチックのカバー的なものが付いた四角いボタン)が並んだ奴です。

これを主に膝の上に置いて操作します。

図よりもっとボタン少なかったような?右側がカーソルキーで、左側でドット置いたりスポイトしたりという感じのハズですので。

なんでこんな独自の手作りキーボードなのかというと、一日中キーボードでドットを打つのでキーボードが壊れるからという理由だったような?

純正のキーボードなんてそりゃ高いので、壊れたボタンを交換できる自作のキーボードで打ってたという感じ。

会話はほとんどなくBGMとしてずっとラジオが流れてましたね。

もう少し続けたかったんですが、普通のゲームを作る可能性が皆無といった感じで、試用期間のアルバイトのうちにやめる決意をしました。

ハードの性能の低さも問題でしたね。アーケードと言ってもMSX2と変わらないっぽい。

ちょうどスーパーファミコンが出た時期で、忙しくなってきて正月付近だったか・・会社の近くに住んでるスタッフの家に泊めてもらったりとか文化祭的な楽しさはありました。

でもだからこそ、若いうちにそういう世界にチャレンジしたいと思いました。

セイブ開発を受けて受かってたというのもあって、ちょっと自信過剰になってたというのもあるかも。(´・ω・`)

短い間でしたがお世話になりました。