親父が逝きました。

まあ23年も透析やってよく生きたと思う。普通5年ぐらいの寿命だって言うからね。

親なのでいくら疎遠な関係でも死んで欲しくはないのは当然なのだが、長期間の透析で血管はボロボロ。クリーチャーみたいなボコボコした腕だし、自分の血管をあちこち移植して使いまわし状態。骨も内臓もボロボロなので、普通に食事しても胃が痛かったらしい。
一日おきに4時間の透析はしないと死ぬし、透析前は水分が溜まって体がダルイ。最近はあちこちボロボロで”起きている間”はずっと体が痛いみたいだった。
そんな生きてること自体がつらい状態なのを知っているので、死んでるのも寝てるのも同じような感じならば、ずっと寝てるような遺体を見てると死ねてよかったねと思えた。この息を引き取る前の4日間は病院のベッドでかなり苦しそうだったし、私は看取ることも出来たからね。

まあほとんど匿名のようなBLOGだが、病院関係者や通夜・告別式に来てくれた父の友人などには深く感謝したい。それと同時に人口透析しながら23年生きた親父のことをここで書くことで、腎臓病になった人の希望になってくれればいいと思う。

希望というには無趣味で借金こそしないものの稼いだ金はほとんどパチンコ・パチスロに使ってしまうようなダメっぽい親父だったが、ちょうどiPS細胞のニュースが出て、あと10年から20年もすれば自分の皮膚から人口的に腎臓も生成できるようになるかもしれない。アメリカなどでは政府などかなりの予算を投じて実用化に向けての研究がかなりの速度で進み始めているようなので、もっと速い可能性も十分ある。
素人考えで根拠はないが上手く10年以内に開発に成功すれば、すでに10年ぐらい透析している人でも、親父のようにもう10年生きることで健康な体になれる可能性があることになるだろう。

そんなニュースが出ているこの時期に逝ってしまったことで多少なりとも残念な気持ちは確かにあるが、生きる意味というものを考えてしまうような私にとっては、このことは自分の為にぜひ書いておきたかった。そういや透析始めた頃は自暴自棄になってどうせ死ぬんだと意味もなく殴られたこともあったなぁ。
通夜のために遺体を自宅から式場に移すときなどは、親父と車に乗っている時間自体が食事に行ったり旅行に行ったり良かったことだけを思い出して悲しくなったりもしたが、最近のことを考えると”よく生きた”そして”もう苦しまなくてよくなったね”と純粋に思える。

弟もそうだがいびきが妙に大きくて、小さい家に住んでるときは親父や弟より早く寝たかったことなどを思い出すと”安らかに眠ってください”というよりは、”いびきかいててうるさくてもいいから、気分よく眠ってて欲しい”・・・こんな言葉をかけてやりたい。